メビウスの帯の上

トランスジェンダーでAセクシャルの筆者が思ったことを書いていきたいと思います。コメントフリーにしてありますのでご意見はご自由に

SECRET GUYZ

SECRET GUYZというグループをご存知でしょうか。日本初FtM(トランスジェンダー男性)アイドルの3人組なのですが、2月に解散するとの事です。

 

実は自分はだいぶ前からSECRET GUYZを知っていて、忙しい中どうにかイベントやライブに行けないかとスケジュールを開けようとしていた矢先の発表だったので正直驚きました。

ラストライブには日程的に行けそうにないので、結果的にリリースイベントに1回行けたきりになってしまいました。

もっと行っておけばよかったといつも後悔です。

 

SECRET GUYZは、以前ある番組に出演していた時に、

「24時間365日、本格派男装ユニット」

と名乗っていたことがありました。

それを見て、もちろん違和感を感じざるを得なかったのですが、その番組では、彼らは幼少期からのことや、手術のことについて話していました。

 

本格派男装ユニット、確かに捉え方としては間違いではないですが、適切ではないような気がしてならないのです。

 

自分にとって、まず彼らは彼らということには変わりはありませんが、男装(つまり異性装)をしているという認識はありませんでした。

彼らは彼らに合う服を着ていると思います。

彼らの性自認は男性だと確定しないにしても、彼らは異性装をしていないように思えます。

 

 

自分は、諭吉さんという人物を知って、性別に対する意見がだいぶ変わりました。

枠にとらわれる必要はなく、自分は自分でそれ以外ではないということだけが、確定しているものなのだと。

だからなるべく男性とか女性とか、そういう言葉を説明以外に使いたくないのです。

最近の傾向(昔も)として、性別が人間の存在の重要な構成要素になっていますが、それは違うと思います。

相手がどんな性別であろうが、その人がその人であることには変わりがないじゃないですか。

性別は、人間の存在の後であって、先ではない。只の詳細事項だということを忘れてしまっているような、もっと簡単に言ってしまうと、意識していなくても、幼少期からの教育には男性と女性という性別しかないのだと思います。(例えば、制服、体育の授業など、男女で分かれるもの。第3の選択肢は滅多に用意されていない)

もし男性や女性という性別以外のことも教育の過程で知っていたら、人間を区別するためのセクマイ用語は必要なくなると思います。

 

セクマイ用語と上に記しましたが、それも間違いかも知れません。自分は既に今のいわゆる「性的少数者」は少数者ではないのではないかと思っています。オープンにしている人が少ないだけで、実は皆その要素を持っている。さらに垣根を越えて考えると、人間は十人十色ですから、多数派などないという考え方もできます。

 

話がずれてしまいましたが、とにかく彼らが男装ユニットだというのはどこか違和感を感じました。皆様はどのように思われたでしょうか?